人と動物の共生の歴史
HISTORY
支配から共生へ〜動物園をめぐる人と動物の交流史
私達に身近な動物といえば、犬や猫などのコンパニオンアニマル(伴侶動物、いわゆるペット)だが、その他に馴染み深いものが動物園の動物であろう。本稿では、歴史学者の溝井裕一氏を始めとする専門家の著述に導かれつつ、動物園の世界史を概観し、動物園を通した動物と人間の関わり方について考えてみたい。
王たちの動物コレクション〜支配する人間と支配される動物
動物園の歴史は、メソポタミアや中国など、古代文明の動物コレクションまで遡ることができる。例えば、イラク北部を支配したアッシリア帝国では、アッシュールバニパル王(紀元前7世紀)が、王都ニネヴェでメソポタミアライオンを飼育していたことが知られている。王はまた、ゾウやダチョウを狩っては、飼育して見世物にしていたという。古代の王たちは、征服地から猛獣や珍奇な動物を集めることで、自らの富や権力を誇示したのだ。
こうした動物コレクションは、その後も世界各地で作り続けられた。中世や近世のヨーロッパでは、動物コレクションはメナジェリーと呼ばれ、動物たちを闘わせる凄惨なショー「アニマル・コンバット」も頻繁に行われていた。
太陽王と称されたフランス王ルイ14世(1638〜1715年)は、ヴェルサイユ宮殿の敷地内に、広大なメナジェリーを造営した。園全体を展望するパビリオンを中心に飼育エリアが整然と区画され、植民地などから集められた多種多様な動物が収容された。このメナジェリーは、アニマル・コンバットこそ行われなかったものの、世界のすべてを手中に収めようとする、ルイ14世の絶対的な権力を象徴するものだった。
こうした、古代から近代に至る動物コレクションは、あくまで人間とは異質の野生動物を、人工的な施設に収容し、飼いならし、鑑賞するという、人間による一方的な「支配をあらわす場」(溝井氏後掲書20ページ)として機能していたのである。
動物園の誕生〜分類・研究される動物たち
17〜18世紀に博物学(自然界の動植物や鉱物を網羅的に分類・研究する学問)が進展すると、メナジェリーを管理し、動物を科学的に観察し理解したいという、博物学者らの運動が盛んになっていった。この流れを受けて、現代につながる「動物園」(zoological park:動物学公園の意味)が、フランス革命(1789〜1799年)さなかのパリで誕生した。「ジャルダン・デ・プラント」と呼ばれたこの動物園は、収集した動物を科学的に研究することを目的として設立された。
これに対抗するように、イギリスでは、1828年にロンドン動物学会によってロンドン動物園が設立された。当初は入園に学会の許可が必要だったが、後に一般公開されると、一躍市民の人気スポットとなった。ヨーロッパで生まれた動物園は、19世紀のうちに海を渡り、アメリカ合衆国と日本でも続々と開園された(日本最初の動物園である上野動物園は1882年開園)。
しかし、当時の動物園では、動物は分類にしたがって展示され、本来の生態や生息地はそれほど意識されていなかった。そのために、飼育環境が合わず、動物が短期間で命を落とすこともしばしば起きたという。また、戦争の戦利品として略奪した動物を動物園に収容するなど、領土・植民地の拡大と主導権争いに明け暮れていたヨーロッパの国際情勢が、園の運営にも少なからず反映されていた。
展示手法の革新〜造られた動物パラダイス
20世紀に入り、それまでの常識を覆す飼育・展示手法がドイツで生まれた。1907年に開園したハーゲンベック動物園は、「無柵放養式」という新しい飼育スタイルを採用した。そこでは、動物たちは檻に閉じ込められることなく、広い空間を自由に動き回ることができた。さらに、ハーゲンベック動物園は、この飼育方法を展示にも巧みに応用した。放し飼いにした様々な種類の動物を、視界全体に重ねて配置する「パノラマ」という展示装置を編み出したのである。
このパノラマでは、「手前にはフラミンゴが憩う大きな池があって、そのバックにはシマウマやイボイノシシなど草食動物がいる。さらにその奥にはライオンたちが岩の上に寝そべり、彼らの背後に巨大な岩山がそびえ、そこをバーバリー・シープが堂々と歩き回っている」(溝井後掲書、110ページ)というような風景を楽しむことができた。この革新的な展示手法は評判となり、各地の動物園で模倣された。日本では、名古屋の東山動物園が、このパノラマ方式の影響を受けた展示方法を採用している。
ただ、ハーゲンベック動物園のパノラマは、実際の自然を再現したものではなかった。地球上のあらゆる地域の自然を限られた敷地内で表現する、という野心的な方針のもと、生態も生息地も異なる動物たちが、平和裏に共存しているように演出されていた。それは世界中のどこにも存在しない、いわば人工の動物パラダイスだったのである。
戦争と動物園〜人間に翻弄される動物たち
2度の世界大戦は、動物園にも深刻な影響を及ぼした。空襲によって破壊された動物園から、猛獣や大型動物が市中へ逃げ出すことを恐れて、各国で多くの動物が殺処分された。名作絵本『かわいそうなぞう』で描かれた、上野動物園の3頭のゾウの痛ましいエピソードは特に有名である。
一方で、動物園の生き物は、戦意高揚のための愛国的活動にも利用された。例えばロンドン動物園では、疎開先から園に帰ってきたパンダが、空襲を恐れない勇敢な動物としてポスターに描かれ、食糧増産のためにゾウが畑を耕したりもした。戦争は、支配する人間と、支配される動物という、それまでの動物園に潜んでいた関係を、この上なくはっきりと浮き彫りにしたのである。
飼育環境の改革〜「動物の権利」運動とニュータイプの動物園
第二次世界大戦が終わると、動物園は急速に復興していった。終戦から1960年代にかけて、世界中で何百もの動物園・水族館・動物系テーマパークが開園した。特に日本とアメリカは突出して多く、それぞれ50〜60施設も誕生した。
この時期は、戦前から進んでいた、動物園のレクリエーション施設化が進展した。動物の芸を売り物にするアニマルショーが盛んに行われ、子供の動物への愛情を育むというねらいから「子供動物園」も相次いで開設された。上野動物園では、ゾウの乱杭渡りといったショーや、カニクイザルが運転手を務める「おサル電車」が好評を博していたし、大阪の天王寺動物園では、チンパンジーの自転車ショーが行われていた。
しかし、こうした動物園のあり方に対して、1960年代から次第に批判の目が向けられるようになった。これまで、動物コレクション(メナジェリー)にせよ、動物園にせよ、動物の飼育環境は、常に人間の娯楽あるいは研究のためにデザインされてきた。動物の住まいは本来の生態に沿ったものではなく、ストレスから異常行動を起こす動物も少なくなかった。
そこで、1970年代後半から「動物の権利」運動が欧米を中心に展開された。動物にも、人間と同様の生きる権利を認めるべきだ、というのが運動の主な主張である。また、1980年代には、動物園の飼育環境を監視する「ズー・チェック」運動が、イギリスの俳優夫妻によって始められた。劣悪な飼育環境の動物園は厳しく批判され、存亡の縁に立たされるようになった。
こうした潮流と前後して、この頃から新しいタイプの動物園が生まれていった。代表的なものが、アメリカ発祥のサファリパークである。サファリパークでは、屋外に放たれた動物の間を、来場者が専用のバスや自家用車で移動するもので、動物の自由な行動を可能にするとともに、アフリカを体験したいという人々の期待にも応えるものだった。
また、米シアトルのウッドランド・パーク動物園で1970年代半ばに考案された「ランドスケープ・イマージョン」も注目される。これは、展示する動物の本来の生息環境を詳細に再現した景観(ランドスケープ)を作り、来場者がそこに没入(イマージョン)して野生動物の世界を体験するものである。
このサファリパークとランドスケープ・イマージョンに共通するのは、それまでの人間と動物における支配〜被支配の上下関係を見直し、両者の立場をできるだけ水平的に改善しようとする姿勢だったといえるだろう。そこでは、人間と動物のあいだを隔てる境界はあいまいとなり、動物は支配する対象ではなく、敬意を払うべき存在であることを、来場者に印象づけようとしたのである。
動物の福祉と環境エンリッチメント〜動物本来の暮らしを実現する
こうした「動物の権利」運動や動物園の環境改善の背景には、19世紀以来の「動物の福祉」があった。動物は精神的・肉体的に健康で、調和した環境の中で幸福に生きるべきであり、人間は飼育下にある動物が、できるだけ苦痛を感じることなく生活できるようにする義務と責任がある、という考え方である。そのなかで注目されるようになったのが、「環境エンリッチメント」である。
環境エンリッチメントとは、飼育される動物の生育環境を豊かにすることで、動物の福祉を向上させる取り組みを指す。飼育環境を、その動物がもともと暮らしていた自然環境に近づけることによって、飼育下の動物に自然な行動を促すのである。例えば、典型的なものとして、トラに餌となる肉をただ差し出すのではなく、広い飼育舎のあちこちに隠して、トラが餌を探す楽しみを味わえるようにする仕掛けがある。
近年注目される環境エンリッチメントの取り組みに、「屠体給餌」(とたいきゅうじ)がある。これは、動物園職員・大学教員・科学コミュニケーター・ジビエ事業者・行政職員らが作る非営利団体「Wild meǽt Zoo(ワイルド・ミート・ズー)」が推進する世界的にもユニークな取り組みで、獣害のために駆除されたシカやイノシシの屠体を、特別な低温殺菌処理を施した上で、ライオンやトラなど動物園の肉食獣に餌として与えるものである。これにより、肉食獣は本来の狩りに近い形で草食獣の肉を摂取することができるようになり、動物の福祉の向上に寄与すると考えられている。また、その様子を来場者に公開することによって、肉食獣本来の生態を学ぶ機会も提供している。
おわりに〜「支配をあらわす場」から「共生をあらわす場」へ
以上見てきたように、古代から20世紀の半ば過ぎに至るまで、動物園は、動物コレクションの時代を含めて、人間の動物に対する「支配をあらわす場」であった。しかし、「動物の権利」運動、サファリパークなど新しいスタイルの動物園の誕生、そして環境エンリッチメントなど「動物の福祉」の取り組みの進展を受けて、動物園は、人間と動物が同じ地球上で共に生きていることを表現する「共生をあらわす場」(溝井後掲書298ページ)へと着実に変化しつつある。
筆者は、たびたび子供を連れて近所の京都市動物園を訪れる。そこでは、定期的に子供向けに環境エンリッチメントのワークショップなどが開催され、子供と保護者に動物の生態を間近に学ぶ機会を提供している。動物園では、見るもの(人間)と見られるもの(動物)という関係は変わらない。しかし、これからの動物園は、人間と動物が、この地球上で共に生態系を構成する生き物であること、お互いが密接に関わり合って生きる存在であることを、学び体験できる場所として、ますます重要になっていくだろう。そうした学びと体験は、コンパニオンアニマル(伴侶動物)を人間社会の中にいかに位置づけ、人といかに共生してゆくか、という課題を見つめ直すきっかけにもなるに違いない。溝井氏の言葉を借りるならば、動物園は「これからのひととそれ以外の生きものの関係をデザインする場」(溝井氏後掲書301ページ)になっていくことができるのである。
おすすめの書籍・ウェブサイト
溝井裕一『動物園・その歴史と冒険』中公新書ラクレ713、中央公論新社、2021年
伊勢田哲治、なつたか(マンガ)『マンガで学ぶ動物倫理』化学同人、2015年
Wild meǽt Zooウェブサイト https://w-m-z.jimdofree.com/
執筆者プロフィール
清水 智樹(しみず ともき)
京都大学高等研究院 ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)特定講師。博士(文学)。専門は東洋史学と科学コミュニケーション。拠点では、論文などの研究成果の社会発信と若手研究者育成プログラムの運営を担当している。個人的には、歴史叙述の方法論としてのグローバル・ヒストリーに焦点を当てた世界史叙述と歴史教育法に関心を持っている。